The vault of heaven

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法律で守れぬもの

テレビ番組などで、法学部の人でなくても、
多くの人が、法律に触れるようになりました。

明治時代のお雇い外国人(当時発展途上であった
日本の法律などを充実させるために、フランスなどから
呼ばれた外国人講師の人のこと)である、
ボアソナードは明治憲法公布前日に、こう語っていたかと思います。
「日本の憲法が、明日公布される。しかし奇妙なことは、
その憲法の内容を、国民の誰一人として、知る者は
いないことである。」

このときと今の時代の事を比べると、ずいぶんと
法律が世間に浸透してきているんだなと思います。

ですが、一方で、私個人の意見ですが、
多くの人があまり知らないのではと思う法律の部分があります。

例えば、電車の中での痴漢。
冤罪に合われた方は、少なくないのではないでしょうか。
自分の無罪を主張するために、真剣に向き合ったのに、
自分の意見を全然信用してくれない。
そして、最後には、自分がやったことを認めてしまう。
そのような手順で、身に覚えのない罪を認めてしまった方は
多いのではないでしょうか。実際に、
確か、「それでも私はやっていない」という映画がありますが、
これは、痴漢の冤罪をかけられ、それを無実だと証明した、
実在の映画だったと記憶していますが、実際に、ここまで
うまくいくことは少ないと思います。
ここでは、冤罪を証明するために、そのときに実際に
着用していた下着の提出を求めるしかないということだったかと
思いますが、実際は、プライバシー保護の観点などから、なかなか
こういったことは要求できません。
結局、多くの場合は、この冤罪を受け入れる事しかなく、
法律は、何も守ってはくれないのです。

ちょっと話を変えて、もしもこういった場合、どうすればいいか。
それは、「その場を全速力で離れる」しかありません。

こういうと、なぜ無罪なのに逃げなくてはいけないんだ、と
思う方がいると思います。確かに、無罪なのに逃げなくては
いけないのは、嫌でしょうし、むしろ疑われる可能性が高いです。

ですが、痴漢が犯罪として認められるには、その被害者が、
口頭で、「この人が痴漢をした」と、それだけで
成立してしまうのです。自分の無罪を主張しようとしても、
被害者の意見が尊重され、結局冤罪になります。

古代から、日本は口で発せられる言葉に重点が置かれていました。
古代の裁判では、盟神探湯(くかたち・熱湯に手を入れ、その
やけどのたたれ具合により、犯罪の有無を決定する。)などが
用いられていましたが、言霊信仰(ひとつひとつの言葉には
神秘的な力が宿るとするもの)も重用され、口による自白が
重要となっていました。実際に、室町時代などの裁判でも、
口から発せられる言葉には、かなりの重点が置かれていました。
今でも、民法における契約は、口約束の時点で成立する、と
されています。
この口で発せられる言葉に重点を置いているということは、
今なお残っているのではと私は思います。

色々と脱線してしまいましたが、何を言いたいのかというと、
自分たちを守ってくれるはずの法律は、時として、
一切、何も守ってくれないのです。しかも、それは、
場合によっては、自分たちを、冤罪であっても、
犯罪者としてしまうのです。

法律は、人々の生活を守るために作られました。
しかし、実際にその生活をもっとも大きく守っているのは、
1人1人の意識なのかもしれません。

長々とすみませんです。
まだまだ未熟で、意味不明な文章を書いてしまったかもしれませんが、
読んでいただいた方、ありがとうございました。
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